5月31日は茨城大学の創立記念日です。旧制水戸高等学校、茨城師範学校、茨城青年師範学校、多賀工業専門学校を統合した新制大学として産声をあげたのが、76年前、1949(昭和24)年のこの日でした。
そして今年は戦後80年という節目の年でもあります。本学の水戸?日立?阿見の各キャンパスは、それぞれに先の戦争にかかわる歴史を有しています。
懂球帝,懂球帝直播のある場所には、かつて旧陸軍の水戸歩兵第二連隊がありました。大学創設後もキャンパスに残っていた兵舎の建物を記憶されている卒業生の方もいらっしゃるかと思います。
工学部の前身である多賀工業専門学校では、同校長官舎と吼洋寮が、1945(昭和20)年の米軍艦砲射撃を受け、当時の早川富正校長と14名の学生、1名の職員が命を落としました。
そして阿見キャンパスを含む一帯は、旧海軍の霞ケ浦海軍航空隊の基地でした。キャンパス内には、兵士が方角について学ぶために作られた石造りの「方位盤」などが残されています。
実は3つのキャンパスだけではありません。潮来市の水圏環境フィールドステーションと周辺は、旧海軍の北浦海軍航空隊の基地でした。周辺には往時を偲ばせる石碑や施設跡が点在しています。また、現在の教育学部附属中学校の場所には水戸工兵隊もありました。
このような歴史を振り返ると、軍事拠点だった場所に新たに大学が創設されるという出来事は、地域の方々にとって、戦後の復興と平和の象徴として強い期待を伴って受け止められていたのではないかと思います。そして、戦前?戦中に直接的、間接的に戦争に関わることになってしまった科学者?技術者たちは、自らの過去を反省して、新たに平和で民主的な社会を打ち立てるべく教育と研究にまい進し、また大学も社会の復興と発